その日、パリには静かな雨が降っていた。エミリーは左岸の小さな書店を出たばかりで、アイボリーのコートの裾が雨で濡れていた。彼女は透明な傘をさし、サンジェルマン大通りの端にあるクラシックなホテルのラウンジへと向かった。友人の紹介で、あるディナーが始まろうとしていた。
そこで彼女はアランと出会った。40代前半、落ち着いた物腰で、静かな自信を纏った男性。スレートブルーのカシミアスーツを身にまとい、多くを語らずとも存在感があった。「インターネットと暗号資産関連の投資をしている」と、彼は簡潔に自己紹介した。
しかし、ディナーは予想外にリラックスした雰囲気だった。彼は自分の成功談を語る代わりに、彼女の話を真剣に聞いた。AIとデジタルアートを融合させたオンラインギャラリーを作りたい——エミリーは、自分の夢を語った。彼は時折質問を挟みながら、真剣に耳を傾けた。
食事の後、二人はセーヌ川沿いを歩いた。夜のパリは柔らかいベルベットのようだった。ポン・デ・ザール橋の上でアランは立ち止まり、ポケットから白い小さな箱を取り出した。
「君に渡したいものがある」と彼は言った。
エミリーが不思議そうに受け取ると、箱には金色の文字で Ledger と書かれていた。
「コールドウォレットだよ」と彼は説明した。「ビットコインを安全に保管するデバイスさ。これはただのプレゼントじゃない。君自身の未来への鍵だ。」
「ビットコインなんて持ってないし、使い方も知らないわ」と彼女は戸惑いながら答えた。
「大丈夫、僕が教える。女性こそ、経済的な主権を持つべきなんだ。」
彼の口調には、押しつけがましさはなかった。ただ、誠実だった。
その夜、彼女はホテルに戻っても眠れなかった。彼は高価なバッグや宝石ではなく、「新しい世界への入り口」を差し出してくれた——それは、彼女がこれまで受け取ったことのない種類のギフトだった。
3週間後、エミリーはニューヨークへ飛んだ。
彼女が滞在したのはアランのソーホーのペントハウス。書籍、アート、テクノロジーが調和した空間。床から天井までの窓からはマンハッタンの夜景が一望できた。
ある日の午後、ついに彼女はあの箱を開封した。アランはキッチンカウンターの向かいに座り、ウォレットの設定を一から丁寧に教えてくれた。シードフレーズの生成、バックアップ、最初のアドレス作成まで、彼女は一つひとつを真剣に記録した。
「本当にビットコインを送ってくれるの?」と彼女が尋ねると、アランは微笑みながら彼女のQRコードをスキャンした。
数秒後、取引通知が画面に現れた:
1.00000000 BTC メモ:For your first block. Build well. —A
彼女は言葉を失い、涙がこぼれそうになった。
「これは報酬でも取引でもない。」
「新しい始まりだよ。」
彼女は静かにアランを抱きしめた。
ニューヨークでの数日間は、まるで夢のようだった。
セントラルパークで自転車に乗り、ブルックリンの小さなバーでNFTについて語り合い、チェルシーでデジタルアート展を観たあと、彼女は冗談交じりに言った。
「この1ビットコインで、最初の個展でも開こうかしら。」
アランは笑ってこう返した。「そのときは僕がリボンを切るよ。」
その晩、彼らは出会いのきっかけについて話した。
「実はね、あのサイトにログインしたの、ただの暇つぶしだったの」とエミリーは照れくさそうに言った。
アランも笑った。「僕もだよ。BTC Sugar Dating。気まぐれで開いただけだったのに、まさか君に出会うとはね。」
彼らが出会ったのは、BTC Sugar Datingというプラットフォームだった。 成功した男性と本物の女性を繋ぐ匿名性の高いマッチングサイト。どちらも本気の出会いを期待していたわけではなかった。それでも、スクリーン越しの偶然が、思いがけない共鳴を生んだ。
帰りの飛行機の中、エミリーは1BTCが表示されたウォレット画面をじっと見つめていた。価格の変動なんてどうでもよかった。重要なのは、そのビットコインが 「信頼の象徴」 として託されたということだった。
バラの花束でもなければ、指輪でもない。
けれど、彼女の夢を形にするには、それで十分だった。
それはただの「送金」ではなく、 尊重であり、承認だった。
パリからニューヨークへ。
この旅はSNSに投稿されることもなかったけれど、彼女の人生で最も静かで、美しいラブストーリーの一章となったことは間違いなかった。